≫この春の移転・移住からこれまでの経過に思うこと
ちょうど1年前の2024年末にこの家の改修工事が無事終わり、それから行ったり来たりのお引越し。
私物の整理もたくさんしながらで、物の移動だけでもおよそ3ヶ月かかりました。
その後も、いろいろな設営や手続き、こまごました日常諸事には、かなりの時間とエネルギーが必要でしたが(「丁寧な暮らし」って大変ですね!!)、願ったり叶ったりの苦労ややり直しは楽しくもあり、とても手応えを感じています。
現地にてご尽力ご協力いただいた皆様、内外でお支えくださった方々、本当にありがとうございました。
もうすぐ冬至。
1年のうちで、一番日が短く太陽の位置が低い時期です。
陽の光がやわらかくて、影が長い。
今のワークレッシュも、そんなふうにあれたら良いなと思っています。
現在は、ゆるやかにこの環境に身体と生活をならしながら、これまでのご縁の方たちやお近くの人たちにお越しいただいて、それぞれ小さな場を設け、それぞれに人がつどう、というかたちです。
この流れのなかで、次の機会・役割を開いていけるだろうと感じています。
≫野良NPOに戻り、太陽の下、土の上で暮らす。変化。反省もする。
法人設立前の1年半の準備期間を含めますと、25年。
当時出会った「子どもたち」は成長され、もうおとなです。
親御さんや仕事の仲間、私自身も「ええ歳」になりました。
それぞれの経験や人生のステージは、変化しながら厚みを増し、そのハードさや素晴らしさもそれぞれ、かけがえのないものですね。
時代を経て久々に再会した人たちとは、「お互い生きてたね!」と喜び合っています。
ひとたび制度用語的な「子育て支援」の事業や思考の枠から外れてみますと、「子ども」のとらえ方や対象は、必ずしも未就学児や未成年者をあらわすものではなくなりました。
ここに来られた人たちと一緒に時を忘れて‘遊んで’語り合っていると、もっと広い・自由で・誰の中にもある子どもの姿が実態としてあらわれ、それこそ時を超えて変幻しながらも、その固有のエネルギーや存在を感じられるようになってきました。大げさでなく。
また、福祉事業の経済サイクルから離れて、素の状態のミニマリストとなって周囲を見聞すれば、一体もう何からどう照準あてたら良いかわからないほど、身近にも社会課題が満載の世の中。
元気に見える大人も、実はしんどい。サービスやメニューが整う一方で、隙間や断線は多くなり、隣人を感じることがない。・・・お話をうかがうだけでも、窮屈で、クールすぎて、息がつまることもあります。
街から離れ自然に癒されているからといって、心穏やかではいられません。
それに、いわゆる「NPOらしい」はっきりした社会活動に取り組めていない、という自覚や現状に、無力感や焦る気持ちがないわけでもありません。
この夏は、そんな思いをひきずりながら、毎日元気な土や草や生きものたちに叩き起こされ呼び出され、土と汗にまみれていました。
巻き添えになった方々ごめんなさい。
SNSや事務系のことも、手伝っていただきながらも大いに後回しになりました。
こうしてようやく、事業のスローガンでもある「ほんまのトコロ、まんまのココロ・遊びが学び、暮らしが仕事・日月火水木金土にふれる毎日を」を実践しているところです。
以前はずっと、不本意ながら朝から晩まで電化製品とコンクリートに囲まれ、食事はインスタント&レトルト&外食にかたより、生活リズムは夜型というよりガタガタ、まわらぬ頭でギチギチの予定や複雑な課題に向かおうとするので本題は向こう岸に行き、残務はコケむす雪だるま。当然のように、自分や家族の生活はそっちのけでした。企業戦士さながらです。勉強も相談もする間もなく、必然的にいろいろと低迷。
代表がコレでは、こんな謳い文句は全く虚偽のホラに成り下がります。
目指すものと逆でしたから。
あれー?Work+Creche!は「はたらく・みんなの・こどもの家」、ロゴは、コミュニテイに支えられて自立する両脇のペアレントとその中心でチルドレンが、互いに土台はしっかりつながりつつも、それぞれ伸び広がっていく像なのでは??
・・・自分のインチキさ加減が、とても嫌でした。
「早く土に還らねば。話はそれからだ!」という感じでした。
・・・というような話はあまりしてこなかったですが、一緒に働いていた皆は、ワクの問題とワークレッシュの希求するものをよく分かってくれていたと思います。
今、少しずつ自分個人の生活はととのってきましたし(時計じゃなくて、季節や1日のうちの太陽の変化に合わせて動くのです!)、うわすべりな思考と喋りも減ってきたように思います。
≫あちこちで生まれる「場」の必然と、運営のむずかしさ。それでも必要な、隣人とのジカでナマの関わり。
それから、周辺で感じられるここ数年の動きとしては、こういうことがあります。
専門職や大きな組織にいる人たちが、結局は「居場所づくり」「人と人の関係性」が大切だと、それぞれのお仕事の枠組みではできないことを、スピンアウトさせて、地域や小さなコミュニティで●●カフェや〇〇サロンというかたちに求めたり、別の価値を保たせた場(家)や機会を、自分たちで営んでおられるのですね。
インフォーマルな、親戚縁者みたいな役割や感触があります。
そんな情況や思いを、頻繁に教わる機会がありました。
そして改めて、それぞれに取り巻く状況や制約、思いや経験値に触れ、しみじみ、とその意義や効能を教えていただいているところです。
ワークレッシュの各事業で担ってきたことも場の営みだったと思いますし、「子どもの家」「住み開き」「ホームステイ」などと名付ける以上、これまで以上に、そうであろうとしています。
不文律で瞬間的でアトに残りにくい、関わりや間合いの大切さと難しさ、そしてリスクについては、これからも十分に注意を払っていきたいです。
人の傍らに居ることへの畏れ、尊敬し対等であろうとすることを大切に思います。
客あしらいがうまいとか、上達する接遇スキルなんかとは多分全然違うことです。ずっと考えつづけるべきと思っています。
このことについては、もう少し別の機会にまた記したいと思います。
≫みんなで養生し合いましょう
大人の方々をご案内したときに、発せられるこのような言葉。
「この場所が必要なひと、いっぱいいると思う」
「自分がこどもになった気がする」
「すでに実家みたいな感覚がある」
しっかりお受け取りしています。
めぐりめぐって、活かしていきましょうね。
さて12月は、忘年会に・もちづくりに・新しい茶話会に上映会の企画も!と思っていましたが、年内は、心を落ち着けて(カンネンして)、事務仕事と書類の整理をすることにいたします。
冬至が過ぎればどんどん寒くなりますが、日は高くなってきますし、また気ぜわしくなりそうですけれどね。
今年も、いえ今年こそ、ワークレッシュを支えていただきありがとうございました。
さやま時代に一緒にはたらいた仲間や先輩方、親しくさせていただいた子どもたちやご家族の皆様がそこかしこで闊達にご活躍の由、法人としても本望であり、とてもうれしく有難く思っています。
一方で今のワークレッシュ、業績は超下火・・といったら聞こえは悪いですが、それは事実です。
しかし、楽器や歌をピアニッシモppで奏でるには最強ぐらいのエネルギーと、フォルティシモffの時とは別の大きなパワーが要るんだ!ということも、骨身に沁みるように分かります。
和久自身は、大きな力を寄せていただいたおかげで、養分をたくわえています。
私こそ、養生の要る1年でした。
和暮守ぶら坊と名付けたこの家をお預かりしながら、「自・然」であることを目標と念頭に、これからの暮らしと仕事につとめてまいります。
また元気にVIVIDにお会いできますように。
次の1年も、袖振り合って、生きていきましょう!
2025年12月20日
和暮守ぶら坊の代表世話人
和久 貴子


