前置きというより、また得意の言い訳です。
2024年の上半期まで、「次はドコでこうする・こう変わりますので是非お力添えを!」と、なかなかオープンかつ具体的にお伝えできず、よってご支援のお願いどころか、お便りもしがたい状況と心境でした(です)。
「そんなの関係ないよ!何の事業をしてるかより、ワークレッシュを応援してるんだから」「例年のことですので」などと言ってくださるその方々は、ウチのことを長く・よく知ってもらっている、かなり近しい、希少な存在だからです。
しかし、具体的にお示しできない段階で、一般的にといいますか、新たに・広く、応援ください、っていうのは無理があります。という考えが私にはありました。
何のために何をしたいか説明できないのに、尊そうな理念と夢想のようなお話だけ掲げて、「寄付金や、あなたのお名前でサポートシップが欲しいです」なんて・・・詐欺かと。
2023年度は、早々から閉業や事業譲渡の運びで、上半期は走馬灯の馬車馬のように過ぎ、下半期もこの勢いで内外の整理整頓をしながら次の準備になだれこもう・・と思っていたものの、色々な壁や穴ボコ、山も谷もありで*、この地と決めているので前途多難・五里霧中――というのとは違うのですが、それゆえに、一進一退・右往左往・・という状況でした。(*主には制度的な課題等により、簡易宿所・福祉型ショートステイの計画に頓挫いたしました・・。)
関係各所の方々にも、ずいぶんご厄介をおかけしましたし、周りでお世話になっている人たちにも「どうなってるの?大丈夫?もうチェンジしたら?」などと、長らくご心配をおかけしていたことでしょう。
本当にすみません。だ、だいじょうぶでした。なるようになる!しっかりオチつきました。・・と思います。しかしこの道のりは、実は味わい深く楽しかった、というのも正直なところです。
それから、このことも記しておきたいです。
来年の春には、公私共25年以上お世話になった狭山の地を離れることになりますが、捨て去るのではないです。
確かに、狭山での自分の働きは、アタマも底も打ちまくり、もうカスカスの出がらしですが、後悔はありません。
狭山で出会えた人たちとつながりが、ワークレッシュと私の財宝です。誇りです。
そしてそれらを携えたままかの地に向かうのは、市町村の区域や他さまざまな境を越え、人や社会と大事に出会い直し、地に足つけてしっかり生きて働きたいからです。
私たちの仕事は、子どもたちや立場の弱い人たちが、この先どんな困難があっても、命をつないでいくための「原風景」をつくること。時代の趨勢にかき消されていった、声なき声を聴くこと。
さらには、これらの瞬間や存在を世にあらわすための「回帰と越境」なのです。
(つづく)
2024年10月